2007年12月31日
神は天にいまし、全て世は事もなし
私が本格的に読書し始めたのは中学生の頃。きっかけは「赤毛のアン」でした(*´Д`*)
当時、アニメ「赤毛のアン」をやっていた。それに見事にはまってしまった。ちなみに「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」などカルピス劇場のすべてにはまったわけだが・・・。
ストーリーは皆さんご存知の通り、孤児のアン・シャーリーが働き手となる男の子
を求めていたカスバート兄妹のもとへ、手違いによって養育されることから始まる。
アニメを見ているウチに「ストーリーの先を知りたい!」という強烈な欲求が生まれ、本を買って読み始めた。
それまで、読書など親に言われても、先生に言われても嫌いだった。
目的意識とは重要である。些細なことでも継続へのモチベーションになる。
結局、赤毛のアンシリーズ全巻を読破することになる。
一度ついた読書の習慣は今も継続し、ブログをはじめるまでは1日1冊ペースまでとなった。ブログを始めてからも、週3冊程度は読んでいる。
読むのが異常に早くなった理由を良く聞かれるのだが、なぜ?かわからなかった。
速読を学んだわけではない、一行づづしっかり読む。
しかし私の場合、集中し始めると目の動きと脳の動きが分離しはじめる。
行を目で追っているのだが、すべて映像に置き換わって行く。つまり映画を見ている常態になるのだ。
だから、あとから文章を聞かれても答えにくいが、シーンを聞かれると映画の感想のごとく話しが出来る。内容の多くを映像として記憶しているわけ。
先日の就職イベント合間の若手社員S君との会話で思い出した。
アニメと平行して本を読んでいたこと。その後も映画などは、先に本を読んでから見に行っていた。後から読んで、レンタルでさらに映画を見ることもある。
その習慣のおかげで、文章を映像化することできるようになったのでは?(仮説)
つい最近も北方謙三の水滸伝19巻を1週間で読んだ。ほとんどが映像シーンで記憶している。
さてさて表題は、赤毛のアンの最終章の最後の言葉である。
養父のマシュウが亡くなり、大学へ進学する予定だったが、年老いた養母マリラを残して行くことは出来ない。そんな折、地元の小学校へ教師として赴任するはずだった、宿敵ギルバートが、その職をアンに譲るのだ。それで仲直りでハッピーエンド。
大学進学は断念せざるおえなかったが、小学校の教員となることを、自分の運命として受け入れるのだ。そして、窓を開いて風景を見ながらつぶやく。
「神は天にいまし、全て世は事もなし」
いろんなことがあった一年ですが、来年は何があろうと動じない心でいたいです。
良いお年を.。゚+.(・∀・)゚+.゚




