2008年04月25日
人生はチョコレートの箱のよう
桜が散る頃になると思い出す。おふくろの実家が京都で、「いつか、安さんに嵐山の桜を見せたいわぁ」と春になると言っていた。
小学生の頃、おふくろのヘソクリと私の新聞配達のお金で京都へ行った。
しかし、10数年ぶりに戻ったおふくろは、季節感が東北人になっていた。
そう、行った時には散ってしまった後だった。。。
「また見に来ればいいべ」と言った約束を果たせぬまま他界してしまった。
親孝行したいときには親は無しとはよく言ったものだ。(TДT)
映画・フォレストガンプの名セリフがある。
臨終の際にある母のもとに戻ったフォレストが、
彼「何で死ぬの?」
母「それは運命なの、あなたのママになるのも運命だった。」
彼「僕の運命は?」
母「自分で答えを見つけるしかないの」
「人生はチョコレートの箱のよう 開けるまで、何が入っているかわからない」
このシーンは泣けた・・・
先に何があるかなんてわからない。たとえ訳知り顔に人生を説かれようとも、誰にとっても初めての人生だ。何もかもわかるはずがない。
そういう意味で映画史に残る名言だと思う。
私のおふくろも似たような言葉を遺した。
宿題もやらず、常に成績下位の私に
「安さんは何かになれる」「きっと何かになれる」と言い続けた。
子供の私が「何か」を矮小にとらえる訳もなく、「俺はいつか何かになれるんだ」と信じ込んだものである。
桜の花びらが散るごとに、おふくろの記憶も薄れていく今日この頃だが、
今でも「何かになれる」と信じて生きる自分がいる。
ありがとう。。。