交遊録

2008年05月10日

癒し系な会社 アリスカンパニー4

アリスカンパニーの長坂社長から久しぶりにメールが来た。

会社のうつ病対策について、セミナーを行うとのこと。
メンタルヘルスってのは非常に大事だが、自社に産業カウンセラーを抱えられる企業は少ない。

そのかわりに、会社の依頼により、社員の心のケアをしてくれるのがアリスカンパニーだ。
従業員はもちろん、幹部・取締役にいたるまでカウンセリングの対象。
愚痴聞きサービスってのがあって、会社の愚痴を聞いてくれる。
とっても、ナイスなサービスなのです。

今回のセミナーの内容は下記の通り

【プログラム】
 第一部 「うつ病」を知る
  ・はじめに 〜今何故メンタルヘルスなのか〜
  ・「うつ病」ってなんだ?〜うつ病の偏見と誤解
  ・この数年でうつ病の労災認定はこんなに増えている! 
    うつ病労災の本当の実態
   〜会社側のリスクと労災認定の判断基準〜

 第二部 自分でできるストレス対処法実践編
  ・うつ病の原因〜ストレッすって一体何なんだろう?
   ストレスがたまるとこんな影響が出る!
  ・部下の変化を読み取る秘策
   〜「なんかおかしいな」のシグナルを読み取る〜
  ・社内でストレスがたまる一番は「人間関係」
   〜自分でストレスを軽減させる方法を知ろう(認知行動療法より)〜

 第三部 会社としてのメンタルケア対処法
  ・従業員がうつ病にならないために
   〜効果的な予防策〜
  ・もし従業員がうつ病になったら
   〜他では聞けない労務のポイントと対処法〜
  ・おわりに
   〜従業員のメンタルケアの充実が会社の成長を支える〜


できることをコツコツ積み上げていくしかない。
まずはセミナーに東京支社からマネージャーを出席させることにした。

皆さんも出席してみては?
メンタルヘルスは大事ですよ!


n2ublog-00043 at 00:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年04月29日

10周年記念の案内状5

23f7383e.jpg名古屋の結婚式場の社長から「設立10周年」の案内が来た。

日頃、経営の勉強で切磋琢磨している仲間だ。
出席しない訳にはいかない.。゚+.(・∀・)゚+.゚

さて、10周年記念というのが如何に記念すべき出来事なのかを統計から見てほしい。

1年後に存続は60%
3年後に存続は40%
5年後に存続は15%
10年後に存続は5%
30年後に存続は2%
50年後に存続は0.7%
100年後に存続は0.03%

創業から1年で4割の会社がなくなり、3年で6割が消え、10年では9割以上の会社が消滅してしまう。企業寿命30年説ってのは数字の裏付けがあるのです。
100年後はたった0.03%だから100周年の企業はとてつもなく凄い。

10周年と一言で言うが、この5%の中に残ったのである。
パーティーくらいド派手にやらんといかんね。名古屋人だし(^^)v


ちなみに、名古屋の場合、全国平均を上回り存続確率が高い。
1年で70%・10年で15%・30年で5%くらいと船井幸雄さんが言っていたと、このブログに載ってました。
名古屋商人と言うのは商売上手で経営上手。トヨタを見ればわかる。

名古屋の結婚式場社長もその例外にもれずに優秀な経営者なのです。


n2ublog-00043 at 00:02|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!

2008年04月16日

エニアグラム5

エニアグラムの研修をうけたのは15年位前。
前にブログで書いた、知的生産の技術研究会のセミナーだった。

和泉育子先生が講師。

エニアグラムに出会って、人生が少し楽になった。
私はエニアグラムで言う、タイプ1の完璧主義者。
ブログを読めば、わかる人にはすぐにわかってしまう。( -д-)ノ

当時、「もう少し、いい加減に生きていいのよ」という助言は、心に安らぎをもたらし、肩の荷が降りたような気がした。(*´Д`*)

エニアグラムは人間の性格は9つのタイプがあるとし、タイプ別の特性や相手のタイプを知ることで人間関係を円滑にするというものである。

何度か和泉先生のセミナーを受け、著書も数冊読んで勉強した。

そして、このような結論に至った。

人には、良いところも悪いところも50%づつある。
人を批判したくなったとき。自分にも半分は批判されるべき欠点がある、相手の良い部分を見るようにしよう。多くの人に欠点を許されて生きているのだから。


それでも、タイプ1の悪い面がでると、人を追い詰めてしまう。
生まれ持った性格を修正するのは難しいものである。(´−д−;`)

皆さんもエニアグラムの診断をしてみては?面白いですよ。


n2ublog-00043 at 00:04|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

2008年03月30日

楽天イーグルス ホーム開幕戦 勝利!!5

ea44289a.JPG昨日は大阪で経営者勉強会!
今回は私がプレゼンの番で、組織について様々な意見を頂いた。
大変勉強になりました。

翌日は朝一番に伊丹空港を飛び立ち、仙台へ。
前日に一緒だった、シナジーマーケティングの谷井社長と恒例の楽天ホーム開幕戦を観戦するためだ。

谷井社長と開幕戦を観戦するのは今年で3回目。楽天グループに縁がある企業がホーム開幕戦に招待されるのだ。
冷たい雨の中の敗戦と翌年の大敗と、まぁ、良い思い出はなかった・・・(−−;

今年こそはと意気込んでクリネックス・スタジアムに。
しかし、初回からマー君がつかまり、2点のビハインドで試合は進む。

ところが!!今年のイーグルスは粘り強く、適時打などで同点に追いつき、ついには8回に打線が爆発! 7−2と大差をつけて、9回へ。

リリーフ陣が薄いイーグルスは、先発に完投してもらうのが必須である。・゚・(ノД`)

マー君は序盤こそ球が浮いて、それを狙われ2ランを浴びたが、その後は立ち直り、9回まで2安打のみの完璧なピッチングだった。

久しぶりの勝ち試合は「非常に楽しかった」と互いの弁。
今年のイーグルスは強い! リリーフだけが問題ありなのである。

勝利の余韻に浸る間もなく。招待客懇親会へ。
谷井社長のシナジーマーケティングが上場したので、その同席者の名札プレートはVIPである。やはり、上場すると待遇が違う! 場所も前列に近いところ。仙台経済界の重鎮の方々と同じような席であった。

その後は、国分町へGO! 会社のいろんな相談に乗ってもらった。
とても楽しい充実した一日だった。

谷井社長、ありがとう!!



n2ublog-00043 at 00:53|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2008年03月23日

人生を変えた3人の先生 その五5

受話器越しに寺島氏は話し始めた。

寺島氏「製品を模倣されたんだって?」
私「はい」
寺島氏「落ち込んでいるのか?」
私「はい・・・」
寺島氏「落ち込むことは無いだろう」
私「え?」
寺島氏「その会社は誰もが知っている大企業だ」「そんな会社が模倣するってことは、君のアイデア、技術が一流って認められたようなものだ」
私「はぁ・・」
寺島氏  「それがビジネスの世界だ。」
    「おめでとう。これでビジネスマンの仲間入りだ」

ビジネスマンの仲間入りだ。。。ビジネスマンの仲間入りだ。。。ビジネスマンの仲間入りだ。。。

私の中でこの言葉はリフレインしていった。

当代一流のビジネスマンに「ビジネスマンの仲間入りだ」と言われたのである。
まさに、天にも昇るような気分となった。

その間、わずか1分くらいの会話だったろう。しかし、私を勇気付けるには充分な時間であった。

急に元気になった私に当時の社員は訝ったものだ。

「もうね、いいの!」「あの会社が模倣したってことは、製品を認められたってことじゃん」「いいの。いいの!」 まったく単純である・・・(−−;
高倉健の映画を見た後に肩をいからせて歩いたり、007を見た後にジェームズボンドを気取るみたいな感じである。「おっと、そこどきなぁ!おれゃビジネスマンだぜ!!」(爆)(はい、単細胞一丁あがりぃ)

それ以来、「生涯ビジネスマンであろう!」と心に誓ったわけである。
そういえば寺島氏とはしばらくお会いしていない。年をとって、身の程をわきまえるようになったのだ(笑)

かくして、この3人の先生との出会いが、私のビジネスマンとしての人格形成を決定付けた。一期一会とはよく言ったもの。人との出会いは大切にすべきだとあらためて思う。

この度、久恒先生は多摩大学の教授となる。
また、東京での交流が始まると思うと楽しみである。

終わり

n2ublog-00043 at 00:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年03月22日

人生を変えた3人の先生 その四5

40b9b5e2.jpg学生の講義にスゴイ人が来るから、檜野君に紹介しよう!と久恒先生に言われた。

寺島実郎氏との出会いである。報道ステーションやサンデーモーニングでお馴染みの寺島氏だ。
もう、偉大すぎて直視できないってのが本当のところである。

それでも、久恒先生と同席する会議やセミナーなどに出席していたら名前と顔を覚えてもらえた。もちろん、久恒先生の後押しもあっただろう。

そんなある日、寺島氏からある以来があった。
「君は色んな事をこなすらしいねぇ」「ついては君にお願いがあるのだが」

もはや、このパターンには久恒氏・野田氏の「無茶振り」で慣れっこになっていた私は内容も聞かず「喜んで!」と答えた。(笑)
あるセミナー設営と運営、動員を依頼されたのだった。
そんなことはお手の物である。サクッとこなしたら、えらく喜んでいただけた。
以来、出版記念パーティなどにも招かれるようになった。

仕事の相談にのってもらいに、ホテルに朝6時半に行ったこともある。(今考えると末おそろしい)
若かった私は、早朝にミーティングするなんて、カッコイイと思ったものだ。

ある時のこと。
私の会社の製品が某大企業に模倣されるという事件が起きた。
特許もとっていたが、特許紛争しても、長い間の係争にベンチャーは耐えられない。
確信犯であるというのが弁理士の見解であった。

深く悩んでいると。その状況が寺島氏の秘書にどこかしらの経由で耳に入ったらしい。

秘書さんから電話があり「今なら数分、寺島が電話に出れます」「ここに電話してください」と。

私は指定された番号に電話を入れた。直通らしく、受けた人はすぐに寺島氏に繋いでくれた。

続く


n2ublog-00043 at 00:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年03月21日

人生を変えた3人の先生 その三5

翌日、開学を控えた宮城大学へうかがった。
近代建築で宇宙防衛軍のようなたたずまいの大学は新鮮で、入るだけでワクワクしたものだ。

エレベーターを上がって久恒氏に案内されて行ったのは学長室。
そこには眼光の鋭い初老の方がソファーにかけて我々を待っていた。
それが野田一夫氏である。

野田氏「やぁやぁ、君が檜野君か」
私「はい、初めまして。よろしくお願いします」(ロボットのよう)
野田氏「久恒君から話は聞いたよ、ベンチャー志望なんだって?」
私「はい。そうです」
野田氏「私は沢山起業家の知り合いがいてね。」「よければ協力してあげよう」
私「はい。ありがとうございます」

これが野田氏との出会いであるが、ド迫力の人というのが初対面の印象だった。

野田先生

多摩大学初代学長にして、宮城大学初代学長になり、数々のベンチャー起業家から師と仰がれる方で、ソフトバンクの孫社長、パソナの南部社長・HISの澤田社長・フォーバルの大久保社長と出てくる名前は当代きってのベンチャー起業家ばかりであった。

野田先生が宮城大学初代学長に就任してから、退任するまでの4年間。
実に多くの事を学ばせていただいた。

久恒先生の壮行会の挨拶でもあったが、いつもされる質問がある。

「成功の反対はなんだと思いますか?」
「経営者の集まりでこの質問をすると、多くの人が『失敗』と言いたそうな顔をしています」
「経営者がですよ!成功した経営者は皆失敗している!(経験している)」
「成功の反対は失敗じゃない」

「成功の反対は、『何も目指さないこと』です」

目標を持ち、それに向かって突き進む。成功するまであきらめない、最後までやり抜く。これが大事だと。

「志」が如何に大事か。「志」という言葉が一番好きになったのは野田先生の影響が大きい。

何かを判断するときに、いつもこう自問すると野田先生は言う。
「それは野田一夫らしいか?」自らの決断のとき「らしさ」を追及する。
それは尊敬する父親に対し恥ずかしくない決断か!?を意味する。

「人前で暗い顔をするな。愚痴をこぼすな。他人と自分とを比べるな」と父は言い、自らもそれを実践した。

私も何かの決断をするとき「それは檜野らしいか?」と問うようになった。

まったく「破格」の人です。
「イレギュラーな日本人」っていうアエラのコラムをクリックしてご覧下さい。


続く

n2ublog-00043 at 00:09|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

2008年03月20日

人生を変えた3人の先生 その二5

9e43f44a.jpg知的生産の技術研究会はその著者である梅棹 忠夫氏を尊敬し、その著書を敬愛する人たちで構成され、多くはビジネスマンであった。
久恒氏のようなJALで活躍しているバリバリの方も多かった。

知研仙台支部を立ち上げると豪語してしまった私は、とりあえず八木前理事長に会いに行き、その段取りをご教授願った。こう言うことにかけては若いころから今も変わらぬ行動力である(。・ω・)ノ゙

会費の納入方法や支部設立の手続きをして、メンバーをかき集め、なんとか体裁が整ったのは数ヵ月後である。

そんなとき久恒氏から携帯に電話があった。
久恒氏「今度、仙台に行くことになったんだ」
私「はぁ、転勤ですか?」
久恒氏「JAL辞めてね、新設される宮城大学の教授になることになった」
私「えーっ!!マジですか・・・」
久恒氏「ついては、宮城に知り合いは檜野君しかいないので、身の回りのこととか協力してよ」
私「はぁ。。。はい・・・」(この頃から無茶振りだった)
久恒先生と奥様
と言うことで、奥様とご一緒に家財道具や食糧を揃えられる店を案内して、仙台・泉区の立地と環境を縷々説明したりした。

私「教授って、何教えるんですか?」
久恒氏「図解! 図解を学問として体系化したいと思う」
私「はぁ・・・?(なんだそれ・・・)」

それは図解の技術が大ベストセラーになる前の話である。

今では時空社内で資料作りには図解を採用している。
入社最初に言われるのは、顧客満足・マーケティング・図解の三点セットである。

久恒氏「それで開学前だけど、宮城大学に明日来てくれないかな」
私「それは嬉しいです。中を見てみたかったので」
久恒氏「そこで野田学長を紹介するよ」
私「はぁ・・・そんな偉い人を紹介されても・・・」

それが二人目の先生、野田一夫氏との出会いである。

続く

n2ublog-00043 at 00:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年03月19日

人生を変えた3人の先生5

aa0c5add.jpg今日は夕方に新幹線に乗り、仙台へ。
この度退任される、宮城大学 久恒啓一教授の大壮行会に参加するためだ。

久恒先生を紹介する時に端的に表現できるのは「図解」!
図解の技術図解コミュニケーションなど、図解を学問として体系化された方で、その著書はベストセラーに名を連ねている。

図解コミュニケーションの第一人者なのである。

出会いは13年ほど前。
エニアグラムという性格分析のセミナーに仙台から東京へ行った時に遡る。

久恒先生

主催は知的生産の技術研究会。(知研)
一通りセミナーをうけて懇親会での出来事。
たまたま久恒氏(当時JALに勤務)の隣に座った私は尋ねた。

私「知研ってなんですか?」
久恒氏「知的生産の技術って本知らないの?」
私「はぁ・・・?知りません・・・」
久恒氏「君は不勉強だなぁ!」
私「スミマセン・・・(ちっ)」
久恒氏「そう言えば、知研の仙台支部ってないんだよな」
「それは仙台が文化的レベルが低いって思われるよ」
私「(なにぉ!)じゃぁ、私がやりますよ」

ってことで、知研の仙台支部を立ち上げることになった。
今思えば、完全に術中にハマったような気がするヽ(#`Д´)ノ
そんな挑戦的なことを言う方ではない・・・
エニアグラムの研修後だけに性格を完全に見抜かれていた・・・

にしても、知的生産の技術って本を読まない訳にはいかないので、八重洲ブックセンターで買った本を新幹線で読みふけって帰ったのである。

しかし、仙台支部を立ち上げると言い放ったが、何をすればいいか皆目見当がつかない檜野青年であった。29歳の頃の話である。

続く

n2ublog-00043 at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年03月08日

葬式にて

お取引先の執行役員I氏のお父様が亡くなったと、グループ会社の社長から連絡があった。
すぐに供花の手配をして、予定があったのでお通夜は東京支社長にお願いした。

I氏は、見るからに江戸っ子って感じで、べらんめぇ口調でバリバリのビジネスマンである。

お葬式に参列させて頂いたのだが、何と言えばいいのか、適切な言い方とは思えませんが「良い葬儀」でした。(言葉が足りなくてスミマセン)

故人のことは一切知りませんでした。家族同士の付き合いでもない限り、お取引先の葬儀では当然かもしれない。

しかし、一時間くらいの葬儀で、故人の人となり、家族の絆がしみじみと伝わってきた。棺に親族が花を手向けるところは貰い泣きしてしまった。

葬儀中、I氏が車椅子のお母様と手を繋いでいる姿をみて「家族を大切にしてるのだなぁ」と、美しい光景だなと感動した。
喪主のお母様に代わっての挨拶では、「スパルタ教育で大変厳しい父親であった」と。太平洋戦争で散った戦友と会うのを楽しみにしているでしょうと締めくくった。

いつもの口調とは違い、落ち着いて穏やかで心に響く挨拶であった。

誰しもビジネスマンの顔のほかに、家庭人としての、父親としての顔がある。
その両面を尊敬できる人であることは、私も「見習うべき」と感じた日であった。


n2ublog-00043 at 00:23|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!